おはようございます!サヨナラヒットです。
寒い日が続きますねぇ。昨日は埼玉でも本格的に雪が降りました。まあ、2,3㎝積もった程度だったので、生活に影響も出ず、なによりです。
今日のブログは思い出のPL学園その3です。
になります。
今日はKKの時代の思い出です。
史上最強軍団!PL学園。昭和58年秋、当時の毎日新聞の近畿大会総評の欄は、こんな見出しで始まっていました。夏にKK(桑田、清原)の1年生コンビ登場で、あのやまびこ打線の池田(徳島)を破って優勝。結果は認めますが、個人的にはPL強しと言えども、PLにしてはそんな強かった印象もなかったので、大袈裟な寸評くらいにしか思わなかったです。まあ、認めたくもなかったのかもしれないですけど。
しかし、その記事が大袈裟ではないことを実感することになったのは、翌春の1回戦になります。昭和59年、第56回センバツ高校野球1回戦・対砂川北(北海道)戦で18-7の大勝。そこまではありがちな話ですが、なんとこの試合、PL学園は6本塁打。当時ではありえない強打でしたねー。ちなみに7得点で健闘の砂川北ですが、桑田は登板してないです。当時序盤圧勝のPL学園には、誰もが優勝するのは当然のように感じていたと思います。
そんなKK率いるPL学園も簡単に優勝できなかったのが高校野球の面白いところですね。KKコンビのいた時代は大会序盤圧勝で優勝確実視されていた感もありますが、KKコンビで優勝したのは、1年生の時を除けば、彼らが最後の夏(昭和60年第67回大会)ということになります。
KK時代、PLの甲子園敗戦の記録
●昭和59年春・決勝 PL学園0-1岩倉(東京)
●昭和59年夏・決勝 PL学園4-8取手二(茨城)
●昭和60年春・準決勝 PL学園1-3伊野商(高知)
KK2年生の春、最強のPLに土をつけたのは、東京代表で初出場の岩倉高校。本人には申し訳ないですが、エースの山口投手がPL学園を完封するとは思ってもみなかったです。
その夏も決勝で敗れたPL学園。木内監督率いる茨城の取手二が打ち勝って優勝。木内マジック元年です(笑)。雨中の激闘でした。延長10回、取手二・中島捕手の決勝スリーランは感動ものでした。マウンドの桑田投手の疲れた表情も印象的でしたね。この年は関東勢がPLを破って春夏優勝は嬉しかったです。
KK3年の春、またもやPL学園に立ちはだかるチームがでます。怪腕・渡辺智男投手擁する伊野商(高知)がPL学園を準決勝で破りましたね。清原から3三振を奪った場面は圧巻でした。渡辺智男投手は風貌がのび太くんみたいだったけど、やった仕事はでかかったです。
そんなKK時代、甲子園での戦績そのものは考えられないくらい素晴らしいものですが、頂点に立ったのは最後の夏にやっとと言った感じでした。まさに常勝PL学園にとっても悲願達成だったのではないでしょうか。
その他KK時代の思い出は、清原2年夏に1試合3ホームラン。聞いて驚き、見てびっくりです。3年の夏、準々決勝で清原が放ったレフトへの大ホームラン。スタンド上段まで運ぶプロ級の一発はまさに化け物でした。相手投手は高知商・中山投手でしたね。チーム戦績としては、KK3年夏の初戦。東海大山形相手に29得点。フリーバッティングでもそんな打てないよって思いました。
PL最強は、その2年後の春夏連覇まで続きます。昭和の終わりはまさにPL時代。そんな高校野球だったと思いますねー。
高校時代で最強の打者と言えば、個人的にはやはりPL学園・清原だと思ってます。この写真にあるように充分球を自分のポイントまで引き付けて、下半身指導でスイングしているのが分かると思います。
今はこのようなポイントで球をさばける打者は、ほぼいないと思ってます。
桑田投手もまさに完成された素晴らしい投手でした。KKと言うけれど、その他のメンバーもかなりのレベルでしたねー。